2018年04月02日

No.301 何のために持ち合いをするのか?~僕が持ち合いについてしつこく考える訳~&どなたか教えていただけないでしょうか?

■何のために持ち合いをするのか?~僕が持ち合いについてしつこく考える訳~

よく「敵対的買収のための対応策だろ?」とおっしゃる投資家や学者の方がいらっしゃいます。でも、本当に会社は敵対的買収への対応策として持ち合いをやっているのでしょうか?

 さて、貴社はどれくらい持ち合いをしていますか?貴社の安定株主比率は何%ですか?50%以上ありますか?たぶんですけど、ほとんどの会社の安定株主比率は50%未満ですよね。ドタカンですが、大半の会社の安定株主比率は40%もないでしょうし、いいとこ30%程度ではないでしょうか?その程度の安定株主比率しかないということは、日本の会社を買収できるということです。敵対的であっても、です。ベジさんが証明しています。日本の会社も「本気で買収提案されたら買収されてしまうだろう」と気付いているはずです。なのに、どの会社も持ち合いで安定株主比率を50%以上にしようとはしません。なぜでしょうか?

 日本の会社の、昔ではなく現在の持ち合いは、敵対的買収や乗っ取り対策のためではないのです。かつてはそうだったのかもしれません。でも今、持ち合いで安定株主比率を50%以上にするなんてできますか?できませんよね。でも実際には、やろうと思えばできるけど、日本の会社の経営者はしないのです。なぜなら「やり過ぎはよくない」という倫理観を持った経営をしているからです。※脱線しますが、倫理観を持って経営していないから米国企業の役員は「超超超」多額の報酬を受け取りたがるのです。

 倫理観を持っているからやり過ぎはよくないと考え、持ち合いをやり過ぎません。もちろん、やり過ぎている会社もありますが、理由はあるのでしょう。では、一般的な日本の経営者は、敵対的買収対策でないとしたら、何のために持ち合いをして安定株主を確保しているのでしょうか?ずばり「わけのわからん要求をしてきたり、その要求をのませるために昔では考えられないくらいの株式を取得し圧力をかけてきたりするファンド」「倫理観のない自分のことしか考えない悪徳株主」への対策と総会屋などの反社会的勢力への対策のためではないでしょうか?

 それって、本当によくないことでしょうか?僕は「持ち合いは、経営者として会社を構成するステークホルダーを守るためには当然の行為」であると考えます。会社は株主だけのものではありません。みんなのものです。社会のものです。そのような公器である会社を、一ステークホルダーに過ぎない株主の利益のためだけに無茶苦茶にしてはいけないのです。大幅増配をすれば株価は上がるでしょうが、従業員は満足でしょうか?「オレたちの給料は上がらないのに、なんで株主だけが!」と考え、モチベーションが下がらないでしょうか?仕入先は?販売先は?経営者はあらゆるステークホルダーに分配する利益のバランスをとらなくてはなりません。

なお、株主はステークホルダーの中で最下層に位置付けられています。それは、会社のP/Lを見ればわかります。

売上高                 販売先

売上原価              仕入先

販管費                 従業員への給与など(社会貢献に関する費用も含まれるでしょう)

営業外損益          銀行への支払/受取利息

法人税等              国・地方への税金

当期純利益          株主のもの

各ステークホルダーへの利益調整・分配が終了した最後に、株主がもらえる金額が決まります。株主は一番最後なのです。そりゃそうでしょう。だって汗かいてないんだもの。みんなががんばってくれたおかげの最後の利益を株主は享受できるのです。でも、最下層のステークホルダーだから議決権を与えられているのではないでしょうか。一番最後のステークホルダーの利益をないがしろにされないように、役員の選解任権を持たせてもらっていると考えます。本来、株主とは弱い立場なのではないでしょうか?それが今では、ありえないような水準の株式をTOBではなく市場で取得して会社に圧力をかけたり、昔では総会屋・乗っ取り屋と呼ばれるような人たちしかしなかった行為をするような投資家が出てきたりと随分変化してしまいました。ISSの登場により、本来、議決権行使は個々の株主が考えることなのに、外国人株主はISSの言うとおりの議決権行使をするようになってしまいました。上場会社の株主は、本来分散化しているはずなのに、いろんな登場人物により、集約化されてしまいました。株主の力が不当に強くなってしまったと言っても過言ではありません。そのような株主に対抗し、万一株主が不当な要求してきた場合にはねのけるために、持ち合いは欠かせないのではないでしょうか?

経営者は持ち合いのバランスをコントロールしなくてはなりません。世間の情勢、投資家の意見、マスコミ、あらゆることを総合的に検討し、「わが社の持ち合い水準はどうあるべきか」「持ち合いをやり過ぎではないか」「少なすぎるのではないか」と常に考える必要があります。なぜなら、持ち合いは企業防衛の王道だからであり、会社の危機管理上、必要なことだからです。経営者が持ち合いのバランスを検討し、判断するためのあらゆる材料をご提供するのが私の役目だと思っています。

持ち合いについて考えて考えて考えて考えぬいた先に、あるべき持ち合いについての答えが待っているような気がします。持ち合いについて考えるということは決して後ろ向きなことではありません。なぜなら、持ち合いについて考えるということは、企業防衛について考えるということです。企業防衛について考えるということは、まさに企業価値向上策を考えるということだからです。持ち合いは決して悪ではありません。株主にとっては悪かもしれませんが、会社にとっては悪ではないのです。皆さんが経営しているのは、株主だけのためではなく、会社のためだからです。

 日本の社会においてまだまだ人材の流動化が進んでおらず仮に買収者が買収後にリストラをしたとしても、従業員は再就職することが難しいかもしれません。また、役員報酬も米国に比べたら相当安い状況において、役員を入れ替えられたらどうでしょうか?就任したばかりの役員だとしたら?大変です。このように日本の社会そのものがまだ変革できていない状況の中で、日本の会社に対して、持ち合いをやめろ、買収防衛策をやめろと一方的に武装解除を求めるのはおかしいのではないでしょうか?これが、私が持ち合いについてしつこく訴える理由です。株主は「武器を捨てろ!オレ様だけの利益のために!」と叫んでいるような気がしてなりません。

■どなたか教えていただけないでしょうか?

東証、企業統治指針改定案を公表 2018/3/30 日経19面

東京証券取引所は30日、企業統治指針(コーポレートガバナンス・コード)の改定案を公表し、パブリックコメントの受け付けを始めた。政策保有株の保有削減に関する方針を例示するように求めるほか、最高経営責任者(CEO)の選任や解任の手続きに透明性を持たせる。4月中に意見を集約し、5月に改定。上場企業には6月の株主総会から適用を求める考えだ。

 企業統治指針の見直しは3年ぶり。取締役会では社外取締役を一段と活用し、女性や外国人を念頭に多様性をさらに高めるように促す。経営計画を策定する際に資本コストを把握するよう求めるなど経営判断に関わる項目も見直した。

 どなたか教えていただきたいのですが、上記の「政策保有株の保有削減に関する方針を例示するよう求める」というのは「パブリックコメントにおいて記載案の例示を求めている」と言っているのか、単に「政策保有株の保有削減方針を(ガバナンス報告書などで)例示しなさい(書きなさい?)」と言っているのか、「例示」という言葉をどう理解すればよいのでしょうか?

 いずれにせよ、コーポレートガバナンス・コード(CGコード)の改定は6月を目途に実施され、遅くとも2018年12月末日までには改定後のCGコードの内容を踏まえたコーポレート・ガバナンス報告書を提出しなくてはなりません。

 「遅くとも12月中か?それまでに提出される事例や印刷会社から提示される記載案を待って対応しようか。弁護士に作文してもらってもいいんじゃない。」と皆さんお考えになるかもしれません。それでもいいと思います。でも、私はそんなことをおすすめしません。それだと何も変わりません。なぜなら、その開示には魂がこもっていないからです。「え?でも鈴木君がやろうとしているプロジェクトも結局は開示案を示してくれるんでしょ?」 示します。ただし、私が示すのはこう書けばいいですよという開示案ではなく、まずは「議論のたたき台としての開示案」を示します。それをもとに徹底的に議論します。「持ち合いとはなんぞや?」と。意見がなくても構いません。いろいろな方の意見を読んでいただくことにも意味があります。いろいろな方の意見や考え方を共有していただくことに意味があります。開示例をもとに、エンピツなめて作る開示内容には意味がないと思うのです。また、持ち合い開示がどんどんと厳しくなっている現状を考えると、「適当にやっておけばいいんじゃないか」は今回通用しないと思います。

 私1人で作った開示案よりも、10人の意見を基にして作った開示案のほうがより中身が濃くなります。そして、100人の意見を基にして作った開示案は更に中身が濃くなり、かつ、中身の濃い開示案を100社それぞれが世に出せば、それは「上場会社の声」になるのではないでしょうか?持ち合い開示を通じて、上場会社の声を私は世の中に届けたいと考えています。

 株主主権論・株主至上主義はかつて欧米が辿ってきた道でしょうし、日本も辿らざるを得ないのかもしれません。以前では考えられなかった大量の株式を1つのファンドが取得したり、ISSの登場によりバラバラだった外国人株主の議決権行使が実質的に統一的になったりしたことは、1匹なら大したことのないいなごが大群で押し寄せてくるようなものです(「もの言う株主 ヘッジファンドが会社にやってきた」ヴェルナー・G. ザイフェルトハンス=ヨハヒム フォート)。田畑には何も残りません。1人1人の株主は怖くないのですが、彼らが束になってしまうと困りますし、会社経営に時には悪影響を与えることがあります。辿らなくてよい道であれば辿る必要はないですし、彼らの言うガバナンスは彼らのためのガバナンスであり、コーポレート・ガバナンスは会社全体を俯瞰して考えるべきものです。束になることで株主の力が強くなりすぎると、会社のガバナンスや利益配分のバランスが取れなくなってしまいます。

残念ながら株式市場には、一部、節度もなく、節操もなく、倫理観もない投資家が存在します。会社の株式の過半数・100%を保有していないにも関わらず、上場を廃止するよう強く迫ったり、借金してでも配当や自社株買いをしろと言ったり、株式市場の論理だけを会社に押し付けようとします。会社は上場してはいるものの、株式市場の論理だけで経営できるものではありません。そのような一部の投資家に対抗するために持ち合いは必要です。きちんと、強く、そしてうまいこと世の中に訴えていきたいと考えています。

 

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