2017年08月18日

番外編 私の履歴書

 コラムをお送りしてもうすぐ1年になるのに、今さら私の自己紹介をするなど恐縮です。逆に、まともに自己紹介もせずにコラムを送っていたことを反省している次第です。

基本的に皆さんとは少なくとも一度はお会いしていますし、何度もお会いしている方もいらっしゃいます。コラムについては1年書いているうちに、いろいろな方からご感想、ご指摘をいただくことがあります。「おもしろい」「参考になる」「タダでもらっていいの?」などというご意見をいただくと、大変うれしく思います。一方、「なんでこの人は無料で参考になるコラムを送っているのだろうか?」「タダより高いもんはないから、ヘタに返信したらしつこく営業メールを送ってくるに違いない!」と思っている方もいらっしゃると思います。

 私は1974年生まれの43歳です。三重県尾鷲市というところの出身です。名古屋の方はご存じでしょうが、東海地方の天気予報には必ず出てくる場所です。降水量が日本一ですので。ちなみに三重県尾鷲市の有名人は西田 厚聰さんです。ご存じない?東芝の社長、会長をつとめ、現在の東芝の元凶を作ったと新聞等では言われている方です・・・。

 実家はまだ尾鷲市にありますが、私自身は中学校から尾鷲市を出て下宿生活をしていました。私立の中学に入学したためです。こう書くと「勉強熱心だったんだね」と言われますが、違います。当時の田舎の中学校は校則で「坊主頭」が義務付けられており、それがイヤでしょうがなかった小学生の私は「どうにか坊主にせずに済む方法はないか?」と考えました。私立の中学校は坊主にしなくてよいとの情報を得た私は、坊主から逃れたい一心で一所懸命がんばり、坊主から逃れることができました。

 中学・高校は松阪市というところです。松阪牛で有名ですね。「和田金」というお店がおいしいですよ。お高いです。坊主にしたくないという安易な気持ちで親元を離れ12歳から下宿生活に突入したため、中学・高校は非常に苦労しました・・・。

 1993年に東京に来ました。上智大学に入学したためです。外国語学部英語学科に入学したものの、入学時点で「これで受験勉強から解放される!」と喜び過ぎてしまい、大学時代に勉強した記憶はありません。ですから、英語は苦手になりました(海外のアクティビスト・ファンド対応につきましては、通訳を雇います)。体育会スキー部でスキーばっかりやっていました。ちなみに、種目はジャンプです。ですので、度胸はあります。あと、ほんのちょっとの根性も。

 1997年に野村證券に入社しました。なぜ野村?野村しか内定をくれなかったからです。本当は銀行や商社のような華やかな業界に憧れましたが、ご縁がなかったようです。当時の4大証券のみ私に関心を持ってくださり、ご縁があり野村に入社しました。

 野村證券に入社してまず驚いたのは、研修の厳しさです。初日に社歌を何十回も歌い直しさせられました。後にも先にもあんなに歌ったことはありません。2か月間、缶詰状態で研修を受けます。居眠りなどしようものなら・・・。研修の最後に配属先が発表されます。当時は、前から順に北の支店から座っていたようです。右端から呼ばれるか、左端から呼ばれるかで、北海道なのか本州なのかが決まります。私は後ろの方だったので「九州の支店か?」と思っていたのですが、「引受審査部配属」と言われました。引受審査部とは、新たに上場を予定している企業の引受、既公開企業のファイナンスの引受の審査をする部署です。死ぬほど有価証券報告書を見ました。財務諸表を見る目を養えたと思います。引受審査部には6年間所属しました。だいたい3~4年で転勤する方が社内的には多い中、一つの部署に6年もいるのは長い方でした。

 2003年にIBコンサルティング部に転勤しました。当社の社名の由来となる部署であり、当社の企業価値の源泉を作ってくれた部署です。業務内容は・・・定型の仕事はありません。「顧客の中長期的利益に資する業務を開発すること」が仕事でした。その中で生まれたのが、企業防衛です。当時、まだ買収防衛策などが日本で開発される前、米国のポイズン・ピルを日本でも導入できないかという悩みを抱えている企業がありました。そのような企業の悩みを解決するために、いろいろな議論をしながら買収防衛策を構築していきました。訪問した企業は何百社という数です。買収防衛策や企業防衛マニュアルの策定といった平時の対応もあれば、「○○ファンドに株式を持たれてしまったから対策を考えてほしい」といった準有事の対応もあります。特に神経を使うのは敵対的買収を仕掛けられたときの対応です。私が関与したケースは、お伝えできる範囲では「三共と第一製薬の統合時に村上ファンドがいちゃもんをつけてきたケース」「ドン・キホーテによるオリジン東秀への敵対的TOB」「スティール・パートナーズによるブルドックソースへの敵対的TOB」などです(当然、まだ若いときに参加したケースもあれば、年をとってから参加したケースがあります)。ほか、日本をさわがせたアクティビスト・ファンドによる株主提案や事業会社による敵対的買収なども対応していますが、守秘義務があるので会社名は明かせません。ただ、日本で起きた有事のケースで野村が関与したものにはだいたい対応していると考えていただいてけっこうです。なお、私が対応したケースで負けたケースはありません(笑) 運も実力のうち、です。

 一番大変だったケースは?と聞かれたら、間違いなく「ブルドックソースです」とお答えします。大変でした。世界で初めて買収防衛策を発動することになったケースです。誰も発動手順など知りませんから手探りです。1日ずれたらすべてが終わるという緊張感の中で対応しました。買収防衛策発動の手順や株主が取る手続きに関するプレスリリースの原案を泣きそうになりながら作った記憶があります。自分でいうのもなんですが、よい出来でした。「よくぞここまでわかりやすくまとめた!」と褒めてくれた上司の言葉が今でも忘れられません。何よりも、ソースのことを何も知らないスティール・パートナーズなどという輩にブルドックソースを食い物にされずに本当によかったと思いますし、買収防衛策の発動に関しては否定的な意見があるのはわかっていますが、ブルドックソースを微力ながらサポートさせていただけたことは私の誇りです。買収防衛策の発動に対して文句があるヤツがいたら言ってこい!論破してやる!と思っています。

 IBコンサルティング部には2003年から2012年まで在籍していました。かなり長いです。2009年からグループリーダーをやり、企業防衛の責任者としてがんばりました。部下も若い人が多かったので、プレッシャーは大きかったですねえ・・・2009年当時から、持ち合い解消の話題が注目されました。銀行による持ち合い株の売却が本格化してきたからです。ですので、覚えてくださっている方もいらっしゃるかもしれませんが、個人株主を拡大させましょうという資料をもって皆さんのところを訪問しました。当時は本当に数多くの会社を訪問させていただきました。だいたい1時間の勉強会を最高で1日7社の会社様にご提供した記憶があります。ペットボトルを2本持って外交していました。

 2012年夏から名古屋に異動します。業務内容は「初めての営業」です。皆さんの会社に証券会社の担当者がいますよね?あれです。・・・本当にしんどかった、です。なぜか?私、営業が苦手なんです。特に世間話がつらい。自分の分野の話であれば2時間でも3時間でも話せますが、天気の話となると3分持ちません。ゴルフは、飛距離は出るのですがスコアがまとまらず下手なんです・・・。そんな初めての営業でしたが、皆さんとても優しく接してくださいました。ある社長に筆でお礼状を書いたところ、「君、勇気があるねえ」とお褒めの言葉をいただきました。まあ、褒められている訳ではなく「こんなに字が下手なのによく筆で礼状書いたね」という意味でしょう。妻以外の誕生日の贈り物で悩んだのも初めてでしたねえ・・・新鮮でした。

 名古屋では、2つ大きな仕事をさせていただきました。1つは、あるお客様に継続して個人株主の重要性を訴え続けていたところ、お客様より「某大株主が当社株式の売却意向を持っています。ついては、個人株主向けに売却する方向にしたい。ずっと野村さんが個人株主の重要性を説いてくれていたので、野村さんに一番最初にこの件で声をかけました」とのお話でした。これは感動ものです。ずっと自分が言い続けてきたことにお客様が納得してくださり、野村に仕事が生まれた瞬間ですので。名古屋には1年半しかいませんでしたが、私にとっては密度の濃い時間でした。

2つ目の大きな仕事は、ちょっとだけ私事のお話ですが、名古屋で結婚したことですね。まあ仕事ではありませんが・・・「結婚だけして転勤するんか!」と言われた記憶があります。そんな私も今では2児の父です。上は2歳の男の子、下は3週間の男の子。はい、下の子は7月末に生まれたばかりです。2人とも私に似たかわいい男の子です(笑) 本当は妻に似てほしかったのですが・・・今月は家事と育児で大変です。

その後、東京に転勤となりましたが、いろいろと考えるところがあり、野村證券を退職し、独立することを決めました。なお、軽井沢にした理由ですが、特にありません。上の子供が産まれたばかりで、「東京は空気が悪いな。よし空気がきれいで涼しい軽井沢にしよう」と短絡的に考えた結果です。まあ、東京に出るのも便利で家賃が安いというのも理由です。

私が思うに、これから上場企業を取り巻く景色はがらっと変わるでしょう。なぜなら、コラムで言い続けているとおり、安定株主が減るからです。そして敵対的買収が成功するでしょう。と言うか、佐々木ベジが成功させてしまいました。株主提案も可決されるでしょう。村上ファンドが可決させてしまいました。このような環境変化の中、上場企業の株主構成問題などに対して、適切なアドバイスをすることを目的に当社を設立しました。私のノウハウは、反対側でも通用します。つまり、村上ファンドやエフィッシモ、佐々木ベジにもアドバイスできます。でも、私はしません。なぜなら、それは正義の味方の仕事ではないからです。彼らの手助けをすることは、○○屋に身を落とすようなもんだと思っています。ダース・ベイダーがダークサイドに足を踏み入れたようなもんです。あっち側に行ってはいけない、と思っています。私のお客様は、常に上場企業です。お金儲けをすることが主目的ではありません。まあ、お金なしでは会社もやっていけませんが、お金は後からついてくるもんだと思っています。ですから、コラムについても、「無料でもらっていいの?」とおっしゃってくださるお客様もいらっしゃいますが、「構いません」とお答えします。ただ、「今は」と付け加えますが・・・。

お客様から信頼を得て、情報・アイデアといったソフトに対する価値を認めていただき、フィーを支払っていただけるようになるために、コラムを毎日送っています。ですので、コラムに対して疑問点があれば、どうぞ遠慮なく質問してください。「うちを雇ってください!」などといったせせこましい営業はしません。当社がコラムを送っているのは営業活動ではなく、布教活動です。営業と違い、布教には時間がかかることは十分認識しています。当社が考えるビジネスは、貴社と当社の相互の信頼関係がシンクロしたときに成り立つと思っています。当社の業務の最大の目的は「貴社の主幹事になること」です。主幹事料という報酬をいただく主幹事です(四季報の主幹事欄に名前を載せていただくことが目的ではありません。念のため)。報酬をいただいて主幹事になる以上、平時の情報提供や議論はもちろんのこと、有事もひっくるめてすべて対応します(基本的に有事にしないためのアドバイスをします)。当社の利益ではなく顧客の利益が第一優先ですから、手数料目的の必要のないファイナンスやM&Aのご提案などいたしません。ただし、耳の痛いことは申し上げます。例えば買収防衛策を廃止した会社様もいらっしゃるでしょうが、私は「廃止すべきではなかった。再度、策を練り上げ防衛体制を再構築しましょう」と自信をもって申し上げます。

ちょっとは私の人となりをご理解いただけたしょうか???番外編コラムにお付き合いいただきありがとうございました。引き続きよろしくお願い申し上げます。

 

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